出会いJapan/新潟出会い/新潟の歴史と文化

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郷土の英雄や偉人、文化的・芸術的に優れた建築物など、新潟にゆかりのある歴史的人物、文化的財産について一部ご紹介します。

新潟の歴史と文化

出会いJapan/新潟出会い歴史文化画像豪農の館

新潟県内の各地には、昔の大地主の暮らしぶりを今に伝える屋敷が残っています。歴代の豪農が集めた芸術品、工夫を凝らした趣ある庭園などは、訪れた人々の心を和ませてくれます。
出会いJapan/新潟出会い歴史文化画像日蓮

日蓮上人は、文永8年(1271年)悪口科の重犯(貞永式目12条)という罪状によって配流の身となり、文永11年(1274年)祓免になるまでの3年間を佐渡で過ごした。

【文永8年(1271年)50歳】 9月12日 佐渡へ流罪の判決が決定される。
佐渡の代官本問重連の館、相模の依智に向かう。
10月10日 相模国愛京群依智の右馬尉の館を出、武蔵国久目河に着く。
10月21日 三国路を通って越後寺泊に着く。
10月27日 寺泊を舟出。
10月28日 佐渡国松ヶ崎港に着く。
11月1日 本間重連の家のうしろ、塚原の小堂に入れられる。(佐渡市・根本寺)
【文永9年(1272年)51歳】 4月7日 石田郷地頭本間某のもとに移り一谷入道の家に入る。(佐渡市・根本寺)
【文永11年(1274年)53歳】 2月14日 祓免の決定。
3月8日 祓免状が佐渡に到着する。
3月13日 松ヶ崎を出発したが海が荒れ真浦へ避難。
3月15日 柏崎に到着する。(柏崎・番神崎)
3月28日 越後国府を経て鎌倉に到着する。

出会いJapan/新潟出会い歴史文化画像上杉謙信

○おいたち 謙信は享禄3年(1530年)越後守護代長尾為景の次男として生れる。
母は栖吉城主(長岡市)長尾顕吉の娘虎御前といわれた。
幼名を虎千代、のち景虎、政虎、輝虎と改め、謙信は晩年の号。
7歳から14歳まで林泉寺で文武を学ぶ。
14歳の秋、栃尾に移ってのち下群をおさえ、19歳で守護代となる。
その後5回にわたり信州川中島に出陣、さらに14回にわたって三国峠を越え関東に出陣、永禄4年(1561年)小田原城を包囲し、鎌倉鶴岡八幡宮で関東管領上杉家を相続した。
2度上洛した後、京都へのぼるため越中の平定などをはかったが、関東が不穏になったので帰国した。
天正5年(1577年)脳出血でたおれ、49歳で春日山城に没した。

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